女城主の里 岩村城散歩写真

岩村城
Nikon D810 + Zeiss Distagon T* f/2 28mm

女城主の里 岩村城散歩写真

今回は、女城主で知られる岩村城
当時の石垣が残っていて良いですね。

アイキャッチ画像もトップの画像も天守ではなく麓にある「太鼓櫓」という場所、この写真は道路側から撮っていますが、反対側が歴史資料館になっていて車が駐車できるので、ここに車を駐車して天守跡を目指します。

公共交通機関の方は明智鉄道の岩村駅が最寄りで、城下町の端に位置するのでそこから城下町を抜けて天守を目指す事になります。
カーナビで目的地を『岩村城』に設定すると、天守にある駐車場(出丸の跡地)に案内してくれますが、下から歩かないと感動は半分以下となるので、特別な理由がない方は歴史資料館から歩くことをお勧めします。

 
岩村城のことを超簡単に説明

出来たのは鎌倉時代、1185年に源頼朝の命を受けた加藤景廉という人が造り始めました。
加藤氏は、姓を遠山に変えて代々城主を継ぎますが、戦国時代末期、城主の遠山景任が病死した事により織田信長の五男「御坊丸」を養子に迎え城主となりますが、なにぶん幼少のため遠山景任の夫人『おつや』が実質的な城主として領地を治めました。(これが女城主と言われるところです)

 
『おつや』という女性は織田信長の叔母さんにあたる人で、武田信玄の家臣(秋山虎繁)が攻め込んできた時も、信長の援軍を頼りに孤軍籠城して頑張りましたが、信長も長島の一向一揆などで忙しすぎて援軍が出せず、ついに城兵の安全と秋山虎繁の妻になることを条件で開城します。

その後、長篠の戦いで織田軍が武田軍を破り両者の力関係が逆転して、織田の軍勢が岩村城を攻める事になり、再び岩村城は籠城して頑張りますが兵糧も尽き、城主と兵を殺さないという条件で和睦しますが、『おつや』と秋山虎繁は張り付けの刑で殺されました。

参考ですが、現代に残る石垣はこの後に少しずつ作られたものという事です。
また、この城に養子に来た御坊丸はのちに犬山城主になっています。

 
では出発!
岩村城
歴史資料館から天守までは800メートルと記されています。
最初はこんな感じでですが勾配は結構キツです。

岩村城
登り始めると直ぐに当時の石垣が見えてくるので楽しくも登ることが出来ると思いますが、途中の案内表示にあるQRコードを読み取ると当時の様子がCGで見ることができて臨場感があります。

岩村城
見上げればこんな感じ

 
いつもなら『山頂の〇〇城跡地』の石碑を撮るのですが、今回忘れました。

これが天守から城下町を見たところ

岩村城
天守にある井戸

そして、天守付近の石垣は
岩村城

岩村城

岩村城
こんな感じ

岩村城
この石垣のところ今見ると何て事ないのですが、最初に説明したQRコードの説明ではこの上に塀があって、この場所は地下通路みたな感じだったようです。

コメント

  1. […] 岩村城の麓にある城下町、昭和の雰囲気を残した街並みで2018年のNHK連続テレビ小説の撮影地で知られています。 […]

  2. […] まずは岩村城跡の石垣から […]

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