戦国の山城 久々利城跡散歩

久々利城後
Nikon F6 + Zeiss Planar T* f/1.4 50mm & PROVIA 100F

久々利城跡

室町時代、現在の岐阜県可児市久々利にあったのは久々利城
トップの画像は「奥の院」(と説明されていた記憶ですが自信なし)から本丸方向を見下ろす感じで撮影

 
城跡の南西側を通る街道の名前が「安土桃山街道」ということなので、当時は戦略上の重要な地点だったのかなと私は勝手に考えています。

簡単すぎる歴史説明

室町の頃の城主は土岐久々利氏で、岐阜・美濃の守護大名土岐氏の一族ということです。

久々利氏は、1537年から美濃金山城と激しく対立していたそうで、1548年に美濃金山城の城主「斎藤妙春」を久々利城におびき出して暗殺して決着がついたという記録があります。

 
時代は過ぎて1565年には信長が美濃地方にまで勢力を伸ばし、その頃の後ろ盾だった武田信玄にも見捨てられて、信長の家臣で美濃金山城の城主だた森可成に従うことになりましたが、1583年に森長可によって討たれ久々利城は落城しました。

交通アクセス

ここに行くには最寄りに駅がないので、車で行く以外にないですがカーナビの目標設定は「可児郷土歴史館」

ここに車を駐車すればすぐそこ、なのですが「安土桃山街道」を横断する必要があって、対面2車線の道路ですがカーブとカーブの間を横断することになるのでお子さん連れの方などは特に注意してください。

ここ注意しましょう。

久々利城の見どころ

この城跡は石垣はありませんが、土塁によって要塞化された戦国時代の典型的な「山城」と紹介されています。

天然の地形を生かして要塞化されていたと思うのですが、防御のための仕掛けが現在でも当時に近い状態で残っている場所が多く、私のような歴史に詳しくないものでも当時を忍ぶことができました。

久々利城跡
正面出入り口の防備
敵が真っ直ぐ侵入できないように枡形となっています。

久々利城跡
ここは三の丸から二の丸、本丸を写したもの
曲輪の周辺斜面を断崖のように造作してあります(切岸と言うみたいです)。


ここがこの城跡一番の見せ場の「二重堀切」なんですが、50ミリ一本しかなくて写し切れませんでした。

みてもよく分からないですね。。。一応説明しますと撮影地点と「久々利城・・」の旗の立っている所、そして木の生えている場所は尾根続きですが、手前の看板とロープ付近で一か所、旗の向こうの看板付近で更に一か所尾根が掘られてこちらにくるのが大変です。

それを反対側から兵隊さんの目線で写すと

こんな感じ(こちらも分かりにくですね)

 
登ってきた方と反対側に降りると「東禅寺」というお寺のほうに出ます(時間は10分くらい)。この道も整備こそしてありますが余計な手が入っておらず、当時の様子を思い描くことができると思いますので帰りはこちらがお勧めです。


道はこんな感じ


東禅寺の桜

昔の感じが楽しめる場所だとは思いましたが、短い距離ですので「歩く目的」の方はここだけだと物足りないかも知れません。

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